稽留流産を経験して 

2018年4月自然妊娠し6月に8週相当の稽留流産となり手術をしました。現在2回目の妊娠中で、これはその1回目と2回目の記録。現在30歳結婚3年目。

36w1d 今だから読んだ本シリーズ

今日の体調はぼちぼち。時々張るって感じ。どちらかというと無気力な一日で、本1.5冊程読んだ以外の活動はあまりなし。なんだか不思議とお腹が空かない一日だった。こうやってぼーっとできるのもあまりにも貴重。人生で初めてこんなにぼーっとしてるんじゃないかってくらい、ぼーっとしてた。

 

今日は火曜に読んだ本の紹介。

 

麹町中学校の型破り校長 非常識な教え」

著者  工藤勇一

 

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 夫が購入した本を回し読み。(私先に読んじゃったけど)夫も育児について考えてるんだなぁと嬉しくなる。

 中学の話だからちょっと先のことかな?と思いながらも読んでみると、いやいやとっても良かった。現在の教育制度やカリキュラムについて考えさせられることもあったし、これらの子育て方ってなにも子どもを育てるのだけに必要なのではなく、部下指導や周りを巻き込む、ということにも応用できる内容だと感じた。考え方については、大人もハッとさせられる内容でもある。私たちから見ればこれらはこれから問題になるであろうトピックス。手元に置いて、事あるごとに読めたらまたいいのかなと思う。

 

以下の所が心に残った。

 

p.46 大人はひとつの成功体験があると、ついつい手段を目的にすり替える習慣があります。

 →これは私やりがちだなぁと思う。自分のやり方が好きなので、ついついそれをオススメしちゃったりしてないか反省。人それぞれやりやすい方法は違うよね。

 

p.74 (叱ることについて)もうひとつ大事な視点としては、「何が目的か?」を常に考えるのです。多くの大人が無意識に口にしてしまう価値観について、実際に叱る前に「これは何を目的として子どもを叱ろうとしてるんだっけ?」と冷静に考えてみることが大事だと思います。

→例として、“嘘をついてはいけない”という事柄について書かれていた。確かに、それが常識、とかそんな言葉では子どもは納得しない。これからよくよく注意しようと思った。

 

p.81.82 (心の教育が席を譲らない社会をつくった?の件)皮肉なことに「良い心」にこだわる人が増えるにつれ、「良い行い」をする人が減っていったのです。(中略)「良い心」にこだわるとは、「心と行動が一致した状態」を求めます。もし「良い行い」をしてもそこに「良い心」がなかったら、それは「偽善」になってしまうのです。(中略)「善意は行動で示す」のが世界の常識です。

→うまく抜粋できないが、要は、心と行動を一致させるのは生半可なことではない、一致する必要はなくて、行動で示せばいい。知識と技能の問題で、心の在り方ではない、ということ。なるほど、と思った。自分も正にその通り、その通り過ぎるくらいその通りで、本当に思ってないから行動してはだめだ、私は偽善者になってしまう、との思いからなかなか善意を見せられない、伝えられないというのが、よくある。でも、本当の心じゃなくてもいいんだね。行動さえ示せば。

 

p.90.91(しつけが甘いと忍耐のない大人になるのでは?)「ストレス耐性=忍耐力と本当に言い切っていいのだろうか?」と思うようになりました。ストレスを感じる状態を耐え忍ぶ「受け身」の発想ではなく、自ら働きかけてストレスを減らしていける能力の方が大事ではないかと考えるようになったのです。

→これは、これまで体育会系が重宝されてきた社会の在り方に疑問を呈する素敵な論理だと思う。自分でうまく言えなかったことを言ってくれた感じ。全くそう思う。

 

p.110 子どものなかに、理想の線をつくらせない作業もときに大切です。(中略)暗い表情をして「至らないお父さんでごめんね」と言おうものなら、子どものなかで理想の線が確定してしまいます。そこは多少のごまかしでも笑い飛ばす。そして、「自分は不幸だ」と感じていたのは大した問題ではないと、気づいてもらうことのほうを優先するのです。

→ああ、そうか!とすごく納得した。これは大人も一緒。留まることを知らない変な自分の理想の線を作って、それと比べて不幸になっても仕方ない。

 

p.143 私が組織を変えるために実践してきたことは、シンプルです。意見や利害が異なる人たちと対話を重ね、お互いに納得できる上位概念を模索し、そこで握手を交わす。そんな小さなプロセスを粛々と積み重ねてきただけです。やがて相談者の方も「みんな違っていい」の理念に賛同しながら自分自身が違いを認めていなかった、つまり対立を固定化していたことに気づくのです。

→自分の熱が熱ければ熱いほど、自分の理念を押し倒したくなってしまうが、それではだめなんだよね。対立を生むだけ。

 

p.172.173(没頭はいいけどゲームばかりで大丈夫?)たとえば、子どもが毎日部屋に閉じこもってアニメを観続けているだけだと「社会的な価値」はゼロです。それは歴史好きの子どもでも同じです。毎日図書館で難しい本を読んでいると勉強をしているように見えますが、本人がマニアックな知識を覚えて楽しいと思っているうちは、アニメオタクとまったく同じ。趣味の世界です。もちろん、趣味として楽しむのはいいのです。しかし、あらゆる知識やスキルは、誰かに伝えたい瞬間から「意味のあるもの」「価値を発揮するもの」に変化すると教えてもよいのではないかと思います。たとえば、「好きなアニメのことをTwitterでツイートしたら、めちゃくちゃ喜ばれた」といった体験をどんどんさせることが大切です。なぜなら、自分が世の中に対して、価値貢献できている感覚を子どものときから積むことが、社会に出たときに積極的に外部に働きかけていく姿勢、つまり主体性に影響してくるからです。 

→こういった主張はよく見るが、自分自身こう言われると本当に辛い‥。なぜなら正に歴史が好きで没頭して勉強していて、それを特に何にも生かしてないから。私は子どもの時から“自分が世の中に対して、価値貢献できている感覚を積む”ということをしてこなかったのだろうね。未だにそう。勉強するのは好き。でもそれを誰かに伝えるってことをしていない。あぁ‥。

 

とこんな感じで大変に勉強になりました。

夫、買ってくれてありがとう!