稽留流産を経験して 

2018年4月自然妊娠し6月に8週相当の稽留流産となり手術をしました。現在2回目の妊娠中で、これはその1回目と2回目の記録。現在30歳結婚3年目。

初めての診療:子宮外妊娠の疑い

今回は、市販の妊娠検査薬にて陽性反応が出てから初めての診察でのお話。

 

それはまさかの子宮外妊娠の疑いという結果に。

 

5月2日水曜日

以下、当時の日記そのまま引用する。

10時30分に予約したI病院へ。

現在、自分のカウントだと6w0dだから、もしかしたら心拍も確認できて、

「おめでとうございます」

って言われて、メッセンジャーでパパになった夫にエコー写真なんて送って、

「赤ちゃんだよー♡」って言って・・・

なんてことを想像していたのに・・・。

 

 

総合受付に行くと問診票を書くように言われて記入し、受付。

問診票と受け取った予約表を産婦人科の診察室のポストに入れ、その前で待つように言わる。

 

しばらくして診察室に呼ばれる。

先生は問診票を確認、そして診察を受ける。

「最終生理が3月21日で今6w0d、検査薬で陽性ということで12月26日が出産予定日になるかと思います。今日は胎嚢の確認、もしかしたら心拍の確認も、という所だと思います。」

ということで、診察台へ。

何かの器具で膣内に出血がないか確認。「出血はないですね」と言われる。

そして超音波検査を実施。

思ったより時間がかかる。ブログやそのほかのインターネットではあっという間にとあったけど、軽く1分以上あったと思う。

「(何とかかんとかー※意味分かっていない)」

と言われ、詳しくは後程お話しします、と。

 

「子宮内に胎嚢が見つかりません。子宮が分厚くなっているので妊娠しているとは思います。今のところ、他の場所も見てみたのですが見つかりません。子宮外妊娠の可能性があります。今血液検査をしても、どっちみちGWで結果が分かるのが月曜日になってしまうので、月曜日にまた来てください。その時また見て、胎嚢が見えればいいし、見えなければ検査すればいい。・・・・」

あと癌がどうとかって言ってたけど、もうあまり細かく頭に入って来ず・・・。

「水曜日じゃだめですか?」

と聞いたら、

「万が一子宮外だったらすぐ対応を考えねばならないので、」

ということを言われ、

「分かりました」

と応える。

 

診察室を後にし、お会計を待つ。

涙が溢れてきた。その間、海外出張中の夫にメッセージを送る。

すぐ返ってきたのが救いだった。

待っている間も子宮外妊娠についてネットで調べる。

産婦人科だから当たり前だけど、周りにはマタニティーマークをつけた女性、お腹の大きな女性がたくさん・・・。皆、いいなぁ、なんて。

 

帰りは泣きながら電車一駅分を歩いて帰りました。

今日休みでよかった。家に着いて泣く泣く・・・。

あれ?私こんなに子どもほしかったっけ?

不妊治療の末、という訳でもないのに、涙が止まらない。

夫が電話してきてくれた。優しさに涙。

30分くらい電話していたけど、口を開くとむせび泣きそうになり、ほとんど言葉を発することが出来なかった。

 

それからネットでまた色々と調べた。

本当に、いろいろない人がいました。私も、自分がこういう心配をするなんて考えてもいなくて、普通に妊娠して、出産するものだと思っていた。しかし、違うのだ。

今思うことは二つ。

一つ目。命の誕生は奇跡なのだということ。命の誕生はそう簡単なものではない。奇跡の連続なのだ。

二つ目。妊娠を望む人、不妊治療中の人、そのほか、色んな状況の人がいて、それぞれの気持ちがある。今まで、考えてあげられてなかった人の気持ちが少しでも考えられるようになった。(もちろん理解はできないだろうとしても。)妊婦やマタニティーマークを見て恨んだり、辛く思う気持ち、今なら分かる。FacebookやLINEグループで出産報告を見る、知るのが嫌な気持ち、、、今まで深く考えられなかった。自分より後に結婚した人の妊娠報告・・・辛いだろう。私は、どうしよう、今後Facebookで、このこと(=妊娠したことや出産したこと)を報告するのは止めておきたい、と思った。(なーんて、まだ自分は妊娠できると思っているのだろう。)些細な言葉で傷つく人、人それぞれだ。色んな状況の人を思いやる人に少しだけだけど、成長できた気がする。

 

この子は、この時間は、この二つのことを教えてくれたのだった。

 

ここまで当時の記録まま。

 

今となっては、この考えもまだまだまだまだ浅はかすぎる。

色々と誤解を招く表現もあるかもしれません。でも敢えてこのまま記しておきます。

本当に本当に私は無知で世間知らずだった。。

 

 

この診察の5月2日から次の診察の7日まで本当に本当に不安な日々を過ごすこととなった。泣き暮らした。タイミング悪く夫が海外出張中で、「なんで肝心な時にいないのよ!」と心細かった。