稽留流産を経験して 

2018年4月自然妊娠し6月に8週相当の稽留流産となり手術をしました。現在2回目の妊娠中で、これはその1回目と2回目の記録。現在30歳結婚3年目。

手術後の3日間の休養~エコー写真を見て微笑むようになる日まで~

今回は流産手術後の3日間の休養のお話。

 

6月6日水曜日。

手術翌日。

夫はいつも通り仕事へ。

私はずっと寝ていた。

ベッドに横にならなきゃ、という意識よりも眠いのかだるいのか自然とぐーぐーと眠りつわりのようにひたすら眠っていた。

眠っているときは悲しみもない。時々目を覚ましては人のブログ読んだり。

そしてちょっぴり泣いたり。

 

お昼に起きたら感動した。

夫が朝仕事に行く前にお昼ご飯を作ってくれていたのだ。

お茶椀がテーブルに並べれ、おかずにはラップがしてある。

「家庭」だ。。

じーんとした。

 

体調といえば、ずっと寝ていたからか特にどこが痛いということはなかった。

ちょっと拍子抜けするくらい。急に動くと立ち眩みがするくらい。

出血も生理4日目くらいで、普通~少な目といったところか。しっかり吸収されていた時もあれば、全くなにもついていない時もあった。塊とかは全くない。

 

物理的に身体から取り出したせいか、もう母性もなにもなくなってる。何もなかったかのよう。

 

とりあえず、ブログをやろうか検討し始める。

 

6月7日木曜日。

この日も一日中寝ていた。よくもまあこんなにも寝れるものだ、という感じ。

そして同時に悲しみも和らいできていることに気付く。

身体も心も「休養」が大事なのかも。

 

この日も特に痛みはなかった。

出血も前日同様だった。

 

6月8日金曜日。

もうすっかり落ち着いたといってもいいほど、心は落ち着いている。

不思議なものだ。のど元通ればなんとやら、というが、子宮から出れば何とやら、か。

 

この日も午前中はすべて睡眠に費やした。

お昼ごはんを食べてからはさすがに眠らずに起きていた。

睡眠チャージ完了か?

主に部屋の片づけをした。明日からまた元の生活に戻るのだ。

自然と身の回りをきれいにしたくなる。

 

それとこれまでに妊娠関係でかかったお金の整理やら

もらった書類の整理やらを行った。

このかかったお金や流産手術の際の保険についてはまた

別の記事にまとめようと思う。

 

そして、わが子のエコー写真。

今日この時にはもうエコー写真を見て、微笑むことができるまでになっていた。

ほんとに不思議である。

よって、写真を整理してしまう前にとあるものを作成してみた。

ボード(結婚式のウエルカムボードに使ったもの。専用のクレヨンで書くとなんども書いたり消したりできる)に、この子への感謝のメッセージと簡単なイラストを描き、エコー写真を周りに張り付けた。

下には、「2018.6.8 明日からは笑顔だよ」と自分への決意ともつかぬ言葉を添えて。

明日には消そうと思うからすぐに写真を撮っておいた。

私の中で、今日はこの子への追悼式だった。

 

体調はと言うと、夕方まではなんともなかったのに

夜になると急にお腹が痛み出した。なぜ?抗生物質がなくなったから?

ってかそもそも「抗生物質」ってなんだっけ?痛み止めじゃないよね。

なんて調べながらも痛い。

もしや明日から仕事だからその憂鬱さでのストレスか?!まさか。

分からないけど、”いよいよ手術後らしくなったなぁ”なんて。

出血はやや増え、生理3日目くらいの感覚だった。

でも2日目やそれを超える出血は一度もなかった。

 

明日から仕事。

”ようやく仕事に行けるー(歓喜)” なんてこともなければ、

”ほんとに嫌、行きたくない(鬱)” なんてこともなく。

3日という休養は私にとってはちょうどよかったのかな、と思う。

多分これ以上休むと社会復帰できなくなる気がします。

あとは明日は勝手に自分で(体力的に)軽めの仕事にしようと決めて、

できるだけ心を楽に保つようにした。

そして、もともと日曜日に休みを入れていたので、1日行けば休める、

という状態だったのは良かった。

明日はリハビリだな。

みんななんて言うかな。