短かった妊婦生活で困ったことあれこれ〜3回目の診療まで〜
今回は2回目の診療にて子宮内に胎嚢確認されてから3回目の診療までのお話。
まずは・・・
《めでたく子宮内に妊娠していることが分かり、まだ公に妊娠していると言えない時期だからこその悩み》編!!
問題その①
まず最初に問題になったのが、迫る13日(日)にある卓球の大会をどうするか、だ。
大会と言っても、地域の趣味レベルのもので私は真剣に練習などをして準備していたわけではない。個人だったら恐らく、いや、絶対棄権していたと思うが、今回はなんと言っても年に1回のダブルスなのだ。女子ダブルスと、男女混合ダブルスに出場する予定でいた。混合ダブルスは夫と組むからまだいいが、女子ダブルスは夫の会社の同僚の奥様(めちゃくちゃ強い。)と組むことになっていたのが問題だった。
急に断るとしても、まだ妊娠のことは言えないからなんて言う?
そのいい案がないためだけに出場をした。
私は仕事とかなんとか言って、辞退するしかないか、と思ったのだが、夫は最後までそういう思考にはならなかった様だった。
インターネットで「妊娠中 卓球」などと調べる。
だいたい書いてあったのは、
①急にお腹を捻る動きのある、卓球やゴルフは良くない。
②卓球に限らず、点数を争うものはついつい白熱するから無理な行動をしてしまいがちなので良くない。
という事だった。
が、
よく言われるように、
「初期の流産は母親の行動が原因ではない。」
のだろう?
少々不安な気持ちを抱えながらも、全力ではやらずに誰に何を思われても省エネモードでプレイをすることにして、出場することにした。
一番怖かったのが、シングルスではなくダブルス故に、仲間同士で肘鉄を食らわさないか、ということだった。
結果としては、そんな心配も杞憂に終わり、衝突事故もなく、試合も強いパートナーのおかげで勝ち進むことができ、とても楽しかった。
その後の打ち上げは、仕事が終わってなくて、という口実で断った。
妊娠5週目のことだった。
問題その②
飲みキャラが故の酒の場の断り方
これは本当に常に困った。私は会社でもプライベートでももうとにかくお酒が大好きだということになっている。(なっている、というか事実。)
※生きることは飲むこと!楽しむことは飲むこと!
体内の水分の80%はアルコールよ!ってくらい愛してやまなかったお酒。。
写真はイメージです。
①体調が良くないので・・
②仕事が終わらなくて・・
③社長につかまって・・
など、もう嘘ついて断った。というか行かなかった。
嘘をつくのには本当に疲れてしまった。
嘘をつくのが辛いというと、いい人みたいだが、私は決していい人ではない。
が、1か月も嘘をつくのは本当に辛く、何度も言うが精神的に本当に疲れた。
問題その③
これは精神的なものだが、上記にもあるように「体調が悪くて・・・」
というのがとても嫌だった。
これまで超健康、風邪など引いたことなく、体力ガンガン系(自称)で通ってきたから。体力自慢的な。
それで「体調悪くて・・・。」といって「大丈夫?」と言われるのが妙に嫌だった。。
って、こんなこと言っていられるのもつわりが軽かった証拠ですよね。
むしろ感謝しなくては。
次回は、《妊娠中はこうでした》編!!
(運動、体調の変化、そして心境など)
胎嚢確認が出来、束の間の幸せを感じた2回目の診察
今回は2回目の診察のお話。
5月7日月曜日。
午前に休みをとり、2回目の診察。
直前までお腹の子に
“おーい、かくれんぼはおわりだよー。今日はすがたみせてねー!”と語りかける。
前回とは別の先生の予約。
診察室に呼ばれると、
「何も見えない?うーん。」
と、とってもそれはそれはとってもモソモソと話す。
「見てみましょう」と内診台へ。
‥‥‥‥
(いきなりカーテンがさっ!!!)
先生「これ赤ちゃんの袋。」
私「っあぁ。」
いきなりカーテン開けるもんだから、びっくりして言葉にならない。
診察室に戻ると、
先生「まだ5週目になるかどうかというところです。次は3、4週間後でいいです。」
と、これはこれはまたとってもモソモソと話す。
人の妊娠には全く興味ない、といった様子。そりゃそうか。
と、いうことで、呆気なく子宮外妊娠の疑いは晴れました。
嬉しかった。幸せだった。
思い返すと、この時が一番幸せだったかなぁ。。
私本当に妊娠したんだ、って。
夫にエコー写真を送った。
2回目の診療まで
今回は、5/2(水)初回の診察で子宮外妊娠の疑い有りと言われてから5/7(月)に2回目の診療を受けるまでの日々と心境のお話です。
5月3日木曜日。
この日は会社の決算遅めに帰宅。
タイミング悪く夫もおらず‥ただただ一人で悩み、涙する。
5月4日金曜日。
今日の仕事の行き先は遠く、5時過ぎに家を出る。
最近温かくなってきたかと思ったのに、妙に寒い。
心臓が痛い。何か変なのか?
周りでパートナーさんが話している。
「もう娘さんそんな歳?!そう、私、一人目流れちゃってるからね。」
別の先輩社員との何気ない会話。
私「お子さんおひとりですか?」
少し後になって思う。
結婚していない人に、「結婚は?」と聞くのが良くないのと同様、
子どもが1人いる人にとっても、”1人ですか?””2人目は?”
という言葉は良くなかったってこと。
この世に芽生えたけど、生まれてこなかった命はカウントされないの?
なかったことになっちゃうの?
そんな風に今の私は感じる。
もちろん、普段の日常の会話では話がややこしくなるから
今一緒に暮らしている兄弟が2人なら2人、3人なら3人と話すだろう。
でも、本当は、1人目と2人目の間にもう1人大切な命があるのかもしれないなって。
今までそんなこと考えたこともなかったけど。。
そういえば、私って、本当に1人目なのかな?1人っ子なのかな?
無性にそれが気になった。私は母親が30歳の時の子で、結婚4年目に生まれた子だった。一人娘である。
とても気になったが、今聞くと、「あんた妊娠でもした?」と感づかれそうだったので、聞くのは妊娠報告後にしようと思う。
5月5日土曜日。
今日の仕事の行き先も同じく遠く、5時過ぎに家を出る。
仕事もばたばたして、気は紛れていた。
が、妙に寒く、心臓が痛い。
ネットで「妊娠 心臓痛い」なんて調べてみたりして。
5月6日日曜日。
仕事は休み。
とにかく明日病院に行ける。やっとこのモヤモヤが晴れる。
ドキドキだ。
初めての診療:子宮外妊娠の疑い
今回は、市販の妊娠検査薬にて陽性反応が出てから初めての診察でのお話。
それはまさかの子宮外妊娠の疑いという結果に。
5月2日水曜日
以下、当時の日記そのまま引用する。
“10時30分に予約したI病院へ。
現在、自分のカウントだと6w0dだから、もしかしたら心拍も確認できて、
「おめでとうございます」
って言われて、メッセンジャーでパパになった夫にエコー写真なんて送って、
「赤ちゃんだよー♡」って言って・・・
なんてことを想像していたのに・・・。
総合受付に行くと問診票を書くように言われて記入し、受付。
問診票と受け取った予約表を産婦人科の診察室のポストに入れ、その前で待つように言わる。
しばらくして診察室に呼ばれる。
先生は問診票を確認、そして診察を受ける。
「最終生理が3月21日で今6w0d、検査薬で陽性ということで12月26日が出産予定日になるかと思います。今日は胎嚢の確認、もしかしたら心拍の確認も、という所だと思います。」
ということで、診察台へ。
何かの器具で膣内に出血がないか確認。「出血はないですね」と言われる。
そして超音波検査を実施。
思ったより時間がかかる。ブログやそのほかのインターネットではあっという間にとあったけど、軽く1分以上あったと思う。
「(何とかかんとかー※意味分かっていない)」
と言われ、詳しくは後程お話しします、と。
「子宮内に胎嚢が見つかりません。子宮が分厚くなっているので妊娠しているとは思います。今のところ、他の場所も見てみたのですが見つかりません。子宮外妊娠の可能性があります。今血液検査をしても、どっちみちGWで結果が分かるのが月曜日になってしまうので、月曜日にまた来てください。その時また見て、胎嚢が見えればいいし、見えなければ検査すればいい。・・・・」
あと癌がどうとかって言ってたけど、もうあまり細かく頭に入って来ず・・・。
「水曜日じゃだめですか?」
と聞いたら、
「万が一子宮外だったらすぐ対応を考えねばならないので、」
ということを言われ、
「分かりました」
と応える。
診察室を後にし、お会計を待つ。
涙が溢れてきた。その間、海外出張中の夫にメッセージを送る。
すぐ返ってきたのが救いだった。
待っている間も子宮外妊娠についてネットで調べる。
産婦人科だから当たり前だけど、周りにはマタニティーマークをつけた女性、お腹の大きな女性がたくさん・・・。皆、いいなぁ、なんて。
帰りは泣きながら電車一駅分を歩いて帰りました。
今日休みでよかった。家に着いて泣く泣く・・・。
あれ?私こんなに子どもほしかったっけ?
不妊治療の末、という訳でもないのに、涙が止まらない。
夫が電話してきてくれた。優しさに涙。
30分くらい電話していたけど、口を開くとむせび泣きそうになり、ほとんど言葉を発することが出来なかった。
それからネットでまた色々と調べた。
本当に、いろいろない人がいました。私も、自分がこういう心配をするなんて考えてもいなくて、普通に妊娠して、出産するものだと思っていた。しかし、違うのだ。
今思うことは二つ。
一つ目。命の誕生は奇跡なのだということ。命の誕生はそう簡単なものではない。奇跡の連続なのだ。
二つ目。妊娠を望む人、不妊治療中の人、そのほか、色んな状況の人がいて、それぞれの気持ちがある。今まで、考えてあげられてなかった人の気持ちが少しでも考えられるようになった。(もちろん理解はできないだろうとしても。)妊婦やマタニティーマークを見て恨んだり、辛く思う気持ち、今なら分かる。FacebookやLINEグループで出産報告を見る、知るのが嫌な気持ち、、、今まで深く考えられなかった。自分より後に結婚した人の妊娠報告・・・辛いだろう。私は、どうしよう、今後Facebookで、このこと(=妊娠したことや出産したこと)を報告するのは止めておきたい、と思った。(なーんて、まだ自分は妊娠できると思っているのだろう。)些細な言葉で傷つく人、人それぞれだ。色んな状況の人を思いやる人に少しだけだけど、成長できた気がする。
この子は、この時間は、この二つのことを教えてくれたのだった。”
ここまで当時の記録まま。
今となっては、この考えもまだまだまだまだ浅はかすぎる。
色々と誤解を招く表現もあるかもしれません。でも敢えてこのまま記しておきます。
本当に本当に私は無知で世間知らずだった。。
この診察の5月2日から次の診察の7日まで本当に本当に不安な日々を過ごすこととなった。泣き暮らした。タイミング悪く夫が海外出張中で、「なんで肝心な時にいないのよ!」と心細かった。
初回診療予約まで&I病院を選んだ理由
今回は前回の続き。
妊娠検査薬陽性反応から初診の予約まで。
4/30(月)~5/1(火)
※ちなみにこの頃は毎日ノンアルコール飲料飲んでました。
賛否両論あるでしょうが。
4月30日月曜日
通常出勤。
重いもの持つと、お腹が痛くなり心配になる。
5月1日火曜日
通常出勤。
なんだかやっぱり調子が良くない。明日を逃すとゴールデンウィークで病院も休みになってしまう。ゴールデンウィークは動き回る仕事が多いので、自分の判断でどこまでしていいのか悩ましい。それを聞くためにも、やっぱり明日病院に行きたい。お金かかるの嫌だったけど、安心料だと思って、そう決意した。
勇気を出して社長、常務に相談。病院に行きたいので、といったら元々の4日の休みと交換という形で休みを頂いた。
なんだか、「ママ頑張った!」という気持ちになる。
はじめての産婦人科、ちょっと緊張。
「産婦人科 診察台」なんて検索して、予備知識を蓄える。
昼間に電話にて診療の予約をした。
「どうされました?」
とのことだったので、
「妊娠検査薬で陽性となって‥(もじもじ」
と言ったら、
「最後の生理から6週間経ってますか?」
と聞かれ、計算できず、
「えっと最後は3月20日からです」
と言うと
「‥ちょうど6週間ですね、予約お取りします」
という流れだった。
ここでは6週間しないと診てくれないみたい。どうせ何も分からないからかな。
病院は、前回、前々回の休みに寝まくってた合間に調べたI病院に行くことにした。
その病院にした理由は、
①家から電車で一駅の大きな駅のすぐ前だということ。
②口コミが良く、どの先生でも安心できそうだったこと。
③小児科、内科もあり、今後もかかりつけの病院にできそうだったこと。
④ホームページも綺麗で、内容も詳しく書いてあり、ここで産みたいと思える内容だったこと。食事の良さ、良さげなカフェ、豊富な産後ケアプログラムなど魅力的な内容。
⑤それに施設の綺麗さ。
にある。
(④⑤の理由は後にそれだけで病院を選ぶものではないと、痛感させられることとなる。)
とにかく、これで明日病院に行けば私も「妊婦」の仲間入りだと思った。
妊娠発覚
今回の内容は妊娠発覚(=妊娠検査薬にて妊娠判定となる)に至るまでの1週間を記しています。4/23(月)から4/29(日)の体調、心境など。
4月23日月曜日。
午前は仕事に向かうものの、なんだか調子良くない。
仕事の数字も良くないこともあり精神的なものなのか、正直区別はつかなかった。
が、午後休んでしまう。(急に仕事をお休みするというのは社会人になって丸6年が過ぎこれが2回目)
この時の体調はだるさと気持ち悪さ。
一応整理開始予定日。普段から不順なのであまりあてにはしていない。
4月24日火曜日。
普通に出勤。自分の胃液?というのか、体内の匂いが今まで感じたことのない匂いに感じる。(上手く言えない)
4月25日水曜日。
普通に出勤。
この頃となると、トイレ行く度に、出血してないか気になる。
夫にも、生理が来てない旨を伝え、この頃から毎晩の晩酌では私はノンアルコールビールを飲むようになった。
※そうそう、我々は結婚式を1月に終え、2月に新婚旅行に行ったばかり。将来子どもほしいというような話はしてはいたけど、具体的なプランはなし。タイミングもみていない。ベビ待ちではないけど、解禁してる状態。
よし、出血していない。
あれ?私こんなに子どもほしいっけ?
4月26日木曜日。
普通に出勤。んー、だるい、そしてウルトラ眠い。明日の休みは寝まくろうと決意。
4月27日金曜日。
仕事はお休み。
夜帰ってきた夫「今日何時に起きたー?」
私「起きてない」
夫「?!」
それくらい寝てました。昨日夜12時から土曜日の朝6時までほぼほぼ寝てました。
時々意識を取り戻した時は、どこの病院がいいか調べまくり、ここにしようかなーというのを決めました。これが後々役に立ちました。(すっかり妊娠してるつもりになってる。)
4月28日土曜日。
普通に出勤。動き回る。
4月29日日曜日。
夫も私もお休み。なかなか休みが被らないので何かをしたいが、身体も気分も乗らずごろごろ。夜、夫とドラッグストアに行って妊娠検査薬を購入。初めて。今日で整理開始予定日より1週間が立とうとしていたから。この頃はインターネットで「妊娠検査薬 何日経ったら」というような言葉で検索しまくっていたように思う。
やってみるのは明日の朝にしようかなーと思ったけど、出勤前はバタバタしそうだし、今日やってみることにした。
夫が夕飯の買い物に出かけている間に実行。紙コップで取って浸すのと、直接かける方法があったが、私は紙コップで取って浸してみることにした。
1、2、3、、あっという間にくっきり線が現れた!!
わーい!素直に嬉しかった。
なんだか分からないけど、今回は妊娠しているという気がしていた。コレと言った根拠はないんだけど、
①とにかく眠かった事
②胸の張りが生理前以上
③胃液?の匂いがいつもと違う
④生理前のおりものらしきものが全くないorごくごく少量
ということがあり、なんとなく感じていた。もくしは、女の勘。
「妊娠した」という事実は嬉しかった。しかし、「人の親になる」という覚悟はできていなかったので、どこかむずがゆいというか、多少の不安はあった。
夫は喜んでくれるだろうか。
帰宅した夫に報告すると、素直に喜んだというよりも、どちらかというと動揺が大きいように見えた。そりゃそうだよな。
またもやインターネットで調べると、あまり早く病院に行ってもなにも分からないから仕方がない、というような話をよく見かけたため、翌週の5月9日水曜日、我々の結婚記念日に病院に行くことにした。この時は、”胎嚢”という言葉も”胎芽”という言葉もなにも知らなかった。病院に行く前に検索魔と化し、いろいろなことを調べた。
はじめに(本ブログの説明)
多趣味の私はこれまでブログを持たず、SNSごとでテーマを持たせて更新していましたが、今回、流産を経験し、「誰にもいえない、誰かに言いたい」の気持ちが抑えきれずに本ブログを立ち上げました。
行く行くはブログを育てて行きたいので、それぞれの記事をまとめるかどうか検討はしますが、今回は取り敢えず、「はじめる」ことに重点を置き、あまり考え過ぎず書き進めたいと思います。